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大都会を歩く。日本橋から品川宿へ - 旧東海道の旅(2)

先週日曜日の朝、やってきたのは東京・日本橋

 

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日本橋から品川へ向かって旧東海道を歩いていきます。
しばらくは、国道15号線を歩きます。

 

スタートして、2km、30分弱で、銀座に到着。

日曜の朝9:30の銀座、人通りもまだ少ないです。

 

さらに、国道15号線を品川方向へ1km、10分行くと、新橋。

ここで、ちょっと寄り道。

旧新橋停車場へ。

 

旧新橋停車場

 

旧新橋停車場のホームページ:公益財団法人 東日本鉄道文化財団

 

1872年、新橋-横浜間に鉄道が開業。

鉄道が開業したことで、人々の移動手段が徒歩から鉄道へと変わっていったのでしょうね。

 

この旅は、文明の進歩に対して抗うかのような徒歩の旅。

国道15号線に戻ります。

 

新橋から、「中央通り」から「第一京浜」へと名前を変えます

 

新橋を過ぎたところで、新幹線の高架をくぐります。旧東海道の上を行く新幹線。何気ない都会の風景ですが、この道が数百年続く道だと思うと、新旧の対比が面白くみえます

 

新橋を過ぎたあたりで、雨が降り出しましたが、小粒の雨なので、気にせず歩き続けます。

 

と思ったら、10分も経たないうちに青空。

 

 

大門駅付近。東京タワーがわずかに見えます

 

首都高の下にある運河。金杉橋にて

 

首都高建設の際、都心部にはスペースが残っていなかったため、運河の上に首都高が造られたそうです。この金杉橋も日本橋もそう。首都高がなければ、東京の景色もずいぶん違ったものなのでしょうね。都心部の首都高を廃止、あるいは地下へ移設する計画もあるそうですが・・・

 

三田駅を過ぎたあたりの歩道橋から。ここから東京タワーがはっきり見ることができました。

 

旧東海道を歩いていて、はっきりと東京タワーを見ることができたのは2か所のみでした。

数百年前には、こんな高いタワーが建つなんて、想像できなかったでしょう。そして、333mものタワーが隠れてしまうほどのビル群が建つことも。。

 

道沿いで見つけた神社は御田八幡神社

 

御田(みた)八幡神社。今の三田の地名の由来はこの神社の名前からなのかなと想像。

Wikipediaによると、

この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社の神田(みた)があったからともいわれる。

半分正解?

 

 

御田八幡神社の紫陽花

 

御田八幡神社のホームページ:御田八幡神社公式ホームページ

 

御田八幡神社の次は、泉岳寺

 

行き当たりばったりの徒歩旅は、神社仏閣めぐりになりがちですw

 

泉岳寺の大石内蔵助像。泉岳寺といえば「忠臣蔵」

 

実は私、泉岳寺が「忠臣蔵」で有名なお寺だと知ったのは、つい半年ほど前。しかも教わったのがアメリカ人から(^_^;) 

 

 

泉岳寺のホームページ:曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺

 

泉岳寺を後にし、ほどなくして品川駅前へ到着。

 

品川駅前で見つけた石碑。品川駅が開業した当時の列車の時刻と運賃が書かれていて興味深かったです

 

旧新橋停車場のところで書いたように、日本の鉄道は新橋-横浜間で開業した、と思い込んでいたのですが、実は、品川-横浜間が先に「仮開業」していたのでした。

新橋-横浜間の正式開業の半年前のことです。

すなわち、品川駅が旧横浜駅(現在の桜木町駅)と並んで、日本最古の駅ということになりますね。

 

品川駅

 

旧東海道の品川宿は、品川駅のまだ先です。

品川駅は、品川宿のずいぶん北に造られたました。
このため、品川駅が港区にある、品川駅の南に京急の北品川駅がある、といったおかしな現象を生むことになりました。

 

八ッ山橋。ここまで歩いてきた国道15号線とはしばしのお別れです

 

八ッ山橋の隣を京急が行く

 

八ッ山橋を渡ったところにある品川宿の案内板

 

日本橋を出発して、色々と寄り道しながら11km弱、約2時間45分。

品川宿の入り口に到着!

まっすぐ歩いてきたら、もっと短い時間・距離で到着できたでしょうけど。。

 

「これより南、品川宿」

 

色々と見どころのある日本橋-品川宿間でした。

歴史の知識も少しだけつきました。

 

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距離: 12.6km、所要時間:3時間26分