自力旅 旅のお供はカメラとGPS

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平塚宿のシンボルはお椀を伏せたような形の高麗山! - 旧東海道の旅(17)

旧東海道の旅は平塚宿へ。

藤沢宿方面から平塚宿へやってきて、旧宿場内を進んでいくと、印象的な形をした山が目に入ってきます。
高麗山(こまやま)です。

 

前のエントリー:

鳥がたくさん平塚八幡宮と皿がたくさん(?)お菊塚 - 旧東海道の旅(16) - 自力旅 旅のお供はカメラとGPS

 

平塚宿

平塚宿は日本橋から数えて7番目の宿場です。

平塚宿のシンボル的な存在が高麗山(こまやま)。
この高麗山、見た目が印象的で、お椀を伏せたような形になっています。

広重が描いた平塚宿にもこの高麗山が大きく描かれています。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/03/Tokaido07_Hiratsuka.jpg

出典:平塚宿 - Wikipedia

この広重の浮世絵から、江戸時代も「平塚宿と言えば高麗山」だったことが窺えます。

高麗山の眺めの他にも、平塚宿には色々と見どころがありました。
紹介します。

 

平塚宿を歩く

藤沢宿からやって来てたどり着いた平塚宿。
散策しながら、大磯宿方面へ歩いていきました。

 

15:46 江戸見附跡

江戸側の平塚宿の入り口にあたる、江戸見附。
その跡がありました。

見附では宿場内へ簡単に入れないよう石垣で入り口を狭くしていたそうですが、その石垣の名残がありました。

江戸見附跡には、平塚宿の案内板も。
こういう案内板があると、全く調べずにふらっと平塚宿を訪れても、どこが宿場内の見どころがどこかがすぐにわかるので助かります。

 

15:56 平塚宿脇本陣跡

本陣は、大名や役人など"えらい人"が泊まった場所。
そして、"脇"本陣は、本陣の予備的な施設。
本陣では泊まり切れない場合に、脇本陣が活用されたそうです。

平塚宿の脇本陣の跡に碑が立っています。

 

15:57 高札場跡

高札場とは法令を書き記した木の札の掲示した場所。

ここも、碑のみ。
碑のみから、当時を思い浮かべるのは至難の業です(^_^;)
となりにある案内板の文字から想像を膨らませます…

 

15:58 前に見えるは高麗山!

平塚宿内を西に向かって歩いていくと、道の先に山が見えてきました。
高麗山です。
ビルや家が林立する現代でも目立つのですから、当時はもっと印象的な山だったのでしょうね。

 

16:00 平塚宿本陣跡

こちらは本陣の跡。
本陣について説明した案内板が無いなと、車道の反対側を見ると…

もっと立派な碑があったw
こちらに説明書きも。。

 

16:05 問屋場跡

問屋場は宿場でもっとも重要な施設です。問屋場には大きく2つの仕事がありました。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというもので> す。もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)といいます。

出典:「問屋場」(といやば)とはどういう施設ですか?

今の入国管理局のような施設ですかねぇ。。

現在では、消防団の建物が建っていました。

当時の外観とは全く違うんでしょうが、それでも昔っぽい建物にしてあるのはいいですね。

シャッターの部分には、広重の絵!

 

16:09 平塚の塚

旧東海道から北側へ逸れて、『平塚の塚』へ。
平塚の塚、なんだかダジャレのような名前ですね。。


右側の部分が「平塚の塚」

築いた塚(お墓)が時を経て平らになったから平塚だそうです。
シンプル!

 

16:27 高麗山の眺め

旧平塚宿内を抜けて、国道1号線にぶつかりました。
ここで視界が大きく開け、高麗山がはっきりと目に入ってきました。

お椀を伏せたような、特徴的な形の山です。
上述した通り、江戸時代の平塚宿においても印象的だったようで、広重の浮世絵にも描かれています。
この山を江戸時代の旅人も見ていたのか…、そう思うと当時の旅人の気分が少し味わえたような気がしました。

 

16:28 京方見附跡

平塚宿の出口、というか京都側の入り口、京方見附。
その跡です。


これより東、東海道平塚宿 

もう、日が沈みかけてきましたが、まだこの日の旅は終わりません。
この後、大磯宿まで歩きました。

 

まとめ

平塚宿のシンボル高麗山は、広重の絵に描かれていたのと同じ形で残っていたので、感動しました。
その他には、当時を想像できるような形で残っている史跡はあまりありませんでしたが、説明書きは至る所にあったので史跡を巡っていて面白かったです。
平塚の地名の由来もわかったし(´▽`)