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見どころたくさん藤沢宿 - 旧東海道の旅(14)

旧東海道の旅は、藤沢宿にやってきました。

藤沢宿では、いたるところで「東海道」や「藤沢宿」という文字を見かけました。
案内板や説明書きも多く設置されていて、事前に情報を調べずに来た人でも藤沢宿の見どころ、楽しみ方がわかりやすいので、歩いていて楽しくなる宿場町でした。

 

前のエントリー:

戸塚宿を過ぎ、道沿いに松が増えてきた - 旧東海道の旅(13) - 自力旅 旅のお供はカメラとGPS

 

藤沢宿

藤沢宿は日本橋から数えて6番目の宿場。
53の宿場のうちの6つめなので、まだまだ先は長いですね(^_^;)

ちなみに、広重の描いた藤沢宿はこんな感じ。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/Tokaido06_Fujisawa.jpg

出典:藤沢宿 - Wikipedia

この浮世絵は、遊行寺の手前からの眺めだそうです。
昔は、藤沢宿から江の島がはっきりと見えていたのでしょうね。

参考:藤沢宿を歩く

現在でも、遊行寺の手前には橋が架かっています。


この場所に広重の描いた橋があったのかと思うと、ワクワクしてきます

 

藤沢宿には、東海道の宿場として栄えていた時代を偲ばせる場所がたくさんありました。
そして、ありがたいことに、至る所で、藤沢宿についての案内を見つけることができました。

 

また、旧東海道を歩いていると、昔の藤沢宿の様子を記した写真が街中にあふれていました。

道沿いに写真があると、昔はこんな街だったのかと想像しながら歩くことができとっても楽しいです。
素晴らしい施策だなと思います。

 

それでは、今回の旅で訪れた藤沢宿の見どころを紹介していきます。

 

諏訪神社

東京の方から来ると、まず目に入ったのが、諏訪神社。
遊行寺坂を下る途中の左側にあります。

落ち着いた雰囲気の神社でした。

神奈川県神社庁のサイトの諏訪神社についてのページです。

 

遊行寺

諏訪神社を出て、道を挟んだ反対側にすぐにあるのが遊行寺。

東海道を歩いて藤沢に来るまで知らなかったのですが、遊行寺というお寺は有名なお寺なのですね(^_^;)
この遊行寺から藤沢という町が発展したそうです。

「遊行寺」と呼ばれ、親しまれているこのお寺は、時宗の総本山で『藤澤山無量光院 清浄光寺』といいます。時宗の法主が遊行上人といわれるところから遊行上人のおいでになるお寺ということで、遊行寺と呼ばれるようになりました。 また、藤沢は遊行寺の門前町として生まれ、「藤澤山」の山号が町の名となり、やがて東海道の宿場町に発展し、今日の藤沢市となりました。

出典:時宗総本山 遊行寺

とても広いお寺でした。
藤沢宿へいったら遊行寺はぜひ立ち寄りたい場所ですね。

日没がせまっていて急いでいたので、あやうく素通りするところでした。
立ち寄ってよかったです(^_^;)


時宗総本山 遊行寺

 

大鋸広小路

藤沢宿には『広小路』がありました。

遊行寺を出たところに広小路についての案内がありました。

広小路とはもともと≪火除地≫を意味する。江戸ではたびたびの火災で多くの人家が焼失したので、幕府は一、六五七年の大火前から火除地を計画していたが、護持院の焼失を契機に八代将軍吉宗は、この地を火除地とし、さらに各所に設定した。この頃江戸には、中橋広小路、長崎町広小路、大工町広小路、両国広小路などができたが、その後各地の重要社寺等の門前に設けられた。

火事のとき、重要な寺社の前は道を広くして、火が燃え移らないようにしたっていうことですね。

また、この案内板では、藤沢の広小路(大鋸広小路)が日本三大広小路の1つであることが書かれていました。
他の2つは、上野広小路と名古屋広小路だそうです。

なるほど、名古屋で生まれた育った私にとって、名古屋の広小路通りは身近な存在だったのですが、『広小路』にはそういう背景があったのですね。
ちなみに、名古屋の広小路は名古屋城を火事から守るためのものだったそうです。

 


遊行寺から出たところ。ここで広小路が折り曲がっていました。道が折れ曲がっていたのは藤沢宿の防備上の理由だったそうです

 

本陣跡

大名や役人が寝泊まりした本陣。
藤沢宿にあった本陣の一つ、蒔田本陣の跡です。

現在は、ラーメン屋になっていましたw


店の看板にちゃんと「ふじさわ本陣跡」と書かれています

 

源義経首洗井戸

本町公園の一隅に鎌倉石を積んで掘られた井戸があり、傍らに首塚の碑が建てられています。腰越で首実検後、海に捨てられた義経公の御首は、白旗川の川辺に流れ着いたといわれ、その際、金色の亀の甲羅に乗って現れたといいます。驚いた付近の里人は泥で汚れた御首を拾い上げ、この井戸水で洗い清め、丁重に埋葬し塚を築いたと伝えられています。

出典:白旗神社|ぶらり藤沢宿

下の白旗神社とともに、源義経に関する場所です。

首が洗われた場所と聞くと、幽霊が出そうな感じがしますね(・_・;)


これが首を義経の洗ったと言われる井戸。夜には来たくない(;´∀`)

 

白旗神社

旧東海道から少し北へ外れた場所にある神社。
源義経が祀られている神社です。

時間が遅かったためか、閉鎖されていて境内には入ることができませんでした…

公式サイト:相州藤沢・白旗神社 公式ホームページ

 

上方見附跡

宿場はここまでですよ、ということがわかる見附跡。
小田急の藤沢本町駅を少し過ぎたところにあります。

藤沢宿の上方見附跡(京都方面の見附跡)は今では案内が立っているだけです。
ちなみに、藤沢宿の江戸方見附跡は、何も(案内すら)ありませんでした(^_^;)

 

この上方見附跡まででこの日の旧東海道歩きは終わりです。
保土ヶ谷宿から藤沢宿まで19.4kmの旅でした。

 

GPSの記録(旧東海道の旅3日目)

 

まとめ

藤沢宿は、見所が多く、また案内・説明があちらこちらにありました。
何も調べずに行っても、十分楽しめる旧宿場町でした。
旧東海道を歩かなくても、藤沢宿だけ行っても楽しめそうです。

 

藤沢宿までで、旧東海道の旅の3日目は終了です。

4日目は、この1か月くらい後に藤沢宿へやってきて、再び西へ向けて歩きはじめました。
その様子はまた今度。

 

ちゃんと歩ける 東海道五十三次 東 江戸日本橋~袋井宿

ちゃんと歩ける 東海道五十三次 東 江戸日本橋~袋井宿

 

 


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