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相模国の旅のはじまり。品濃一里塚を通り戸塚宿へ - 旧東海道の旅(11)

旧東海道の旅。3日目は保土ヶ谷宿から藤沢宿まで。

前のエントリーでは、保土ヶ谷宿から権太坂までを書きました。

権太坂を登り終えた場所にあったのが、境木立場跡。
ここを過ぎると、旧東海道の旅は相模の国へと入っていきます。

このエントリーでは、相模の国に入ってから戸塚宿に辿り着くまでの行程について紹介します。

 

前のエントリー:

 

境木立場跡

権太坂を登り切ったところにあるのが、境木(さかいぎ)立場跡。


境木立場跡

立場とは人足や馬子の休息所。
境木立場は、権太坂を登ってきた旅人が一休みする場所だったんですね。

そして、この境木立場には茶屋があったそうで、名物はぼた餅!
境木立場からは富士山が望めたそうで、ここで富士を眺めながらぼた餅を食べつつ一服していたのでしょうね。

今ではそんな一服できるところはないのかと探してみたら、境木立場跡のすぐそばに和菓子屋がありました。

横浜ほどがや 菓匠 栗山横浜ほどがや 菓匠 栗山

この店では今でもぼた餅が食べられるという情報もあるのですが、公式ホームページを見てもそんな情報は載っていないですね。
無くなったのでしょうか。
その代わりに(?)、この店では旧東海道にちなんだ和菓子が売られているようです。
旅した後にこの店のことを知ったので、残念ながらこの店には寄れませんでした。。

この境木立場跡の『境木』という地名は、ここが武蔵の国と相模の国の『境』で、ここにある地蔵堂に大きな『木』があったことから名づけられたそうです。


これが大木があったという地蔵堂です


地蔵?


境木立場が武蔵の国と相模の国の境でした


旧東海道の旅は相模の国へと入ります

 

焼餅坂

相模の国へと入ると、坂の下りに入ります。

この坂の名前が焼餅(やきもち)坂。
嫉妬の"やきもち"ではありませんw
焼いた餅を売っている店がそばにあったから焼餅坂と言ったそうです。
地名って意外と単純な理由で付くものなんですね!


焼餅坂

せっかく権太坂を登ったのを台無しにする下り。
当時からこのあたりのしんどさは名物だったのでしょうね。

 

品濃一里塚

焼餅坂を下り終えて、少し行くと品濃(しなの)一里塚があります。

一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1里(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)である。塚の側に榎の木を植えたり標識を立てたりしていた。

出典:一里塚 - Wikipedia

東海道の旅人にとって、一里塚は大切な目印でした。

今となっては跡形も無い一里塚が多い中、この品濃一里塚はほぼ当時の形で残っている貴重な場所です。
しかも、この品濃一里塚は、道の両側に残っているのです。
これはかなり珍しいようです。


戸塚宿へ向かって左側にある一里塚


右側の一里塚は『品濃一里塚公園』になってました


品濃一里塚には立派な木が生えていました

なるほど、一里塚とはこういうものだったのか、ということがじっくりわかった場所でした。

 

戸塚宿へ

品濃一里塚を過ぎると、あまり見どころの無いゾーンが続きます。


謎のゆるキャラが道案内♪


益田家のモチノキ。神奈川県指定の天然記念物だそうですよ!益田家が気になる…


不動坂。ここは大した坂ではなかったです

 

不動坂を過ぎると、戸塚宿の入り口、江戸方見附。
見附跡の碑があるそうですが、全く気づかず通り過ぎてました。

私は、交番の前を通り過ぎるとき、別に悪いことをしてるわけではないけど、なぜか緊張してしまうことがあります(^_^;)
昔は、見附(見張り所)を通るとき、「悪いことしてないけど、なぜか緊張してしまう」ってことはあったのでしょうかねw

緊張するどころか見附に気づくことすらなく、戸塚宿の中へと入ってきてしまいました。
次回は、戸塚宿の様子について記したいと思います。