京急線沿いの旅がつづく。川崎宿から神奈川宿へ - 旧東海道の旅(6)
八丁畷駅前の慰霊塔に手を合わせた後、神奈川宿へ向けて歩みを進めます。
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八丁畷駅から南西へ700mほど行くと横浜熊野神社。
8月3日には例大祭が行われるようで、通行止めの案内がありました。
横浜熊野神社例大祭の:横浜熊野神社行事
横浜熊野神社
鶴見市場駅付近。このあたりの道は歩道無しの片側一車線の道です
旧東海道は、昔からあるだけあって狭い道が多いです。
鶴見川を渡る手前の金剛寺
鶴見川に架かる鶴見川橋。名前がとってもストレートなのは、やはりこの道が昔からあるからでしょうか
鶴見川橋から上流方向を望む
鶴見川橋を渡り終えてすぐのところにあった「寺尾稲荷道」の碑。ここから寺尾稲荷(現、馬場稲荷社)に向かう道が分岐していました。なおこの石碑はレプリカで、”ほんもの”は鶴見神社内に移されています
鶴見図書館前にある、旧東海道(川崎宿-神奈川宿間)の古地図。現在の地図との対比がおもしろいです
旧東海道から少し西へ逸れて鶴見神社へ。この日はほおずき市が行われていました
鶴のマークがかわいらしいです
これが”ほんもの”の「寺尾稲荷道」の碑。鶴見神社の一番奥に置かれています
とても歴史ある神社です。
鶴見神社のホームページ:鶴見神社ホームページへようこそ(^^♪
京急鶴見駅の下をくぐり、
京急鶴見駅東口前の商店街の道をいきます
「下野谷町入口」交差点で国道15号線を渡ります。主要道に対して斜めに交わっているところがいかにも旧東海道らしいです!
JR鶴見線「国道」駅の高架下。レトロな雰囲気があります
「国道」駅の名前の由来は、近くに国道があったからというとてもシンプルなもの。
今の国道15号線ですが、明治時代には「1號國道」(通称「京濱國道」)でした。
生麦魚河岸通り
鶴見のあたりは工業地帯のイメージだったので、魚河岸があるとは全く知りませんでした。
実際に行ってみて、知ることって多いです!
生麦魚河岸通りを過ぎたあたりにある正泉寺というお寺。
門からのぞくと、とてもいい雰囲気だったので入ってみます。
雰囲気のある小さなお寺を見つけられるのもこの旅の醍醐味です。
正泉寺
続いて、正泉寺からすぐのところにある道念稲荷神社。
ここも小さな神社ですが、連なる鳥居は見ごたえがあります。
道念稲荷神社
この道念稲荷神社は「蛇も蚊も(じゃもかも)」という祭りで有名だそうです。
大がかりな道路工事をしていると思ったら、横浜環状北線の工事でした
首都高の横浜環状北線とは、
横浜市の交通ネットワークの骨格を形成する『横浜環状道路』の北側区間、第三京浜道路「港北インターチェンジ」から首都高速道路横浜羽田空港線「生麦ジャンクション」をつなぐ自動車専用道路です。(引用元:横浜環状北線)
まあ、便利になるんでしょうね。。
この工事のため、「生麦事件碑」が移設されていました。
生麦事件碑
生麦事件をおさらいしておくと、
1862年八月,生麦村で島津久光の行列を乱したイギリス人を薩摩藩士が殺傷した事件。イギリスは幕府・薩摩藩に犯人引き渡しと賠償金を要求し,幕府は償金を支払ったが薩摩藩は拒否し,薩英戦争の原因となった。(引用元:生麦事件とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書)
小学校か中学校の授業で「生麦事件」という言葉をはじめて聞いて、麦の強盗事件が起こったのかと想像していたのは懐かしい思い出です(笑)
出身が名古屋なので、当時「生麦」が地名だとは全く思わなかったですね。。
生麦と言ったら、「生麦・生米・生卵」でしょ!?
生麦に「キリンビアビレッジ」。”生麦”にビール工場って! 狙ってこの地を選んだんですか、キリンさん?
キリンビアビレッジのあたりから、旧東海道は国道15号に合流。
ここから4kmくらいは大通りの歩道を歩くことになります。
大通りよりは細い道を歩く方が雰囲気があって好きですね。。。
国道15号に入ってから見つけたお寺が遍照院。
このお寺、すごいところにあります!
お寺の門が京急の線路がのすぐそば!!
参道を歩いていき、踏切を渡って、お寺の中に入ることになります。
遍照院。門の直前に踏切があります
京急の電車が門の目の前をすごいスピードで通り抜けていきます
歴史の順番を考えると、「お寺がすごいところにある」ではなくて、「京急がすごいところに線路を敷いた」が正しいでしょうね。
遍照院のイチョウの木
旅は、旧神奈川宿内へと続きます。
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距離: 7.9km、所要時間:2時間04分